前からこのブログを読んでくださっている方はご承知でしょうが、私はダコタ・ファニングびいきなのです。彼女が「アイ・アム・サム」で見せたあの年では考えられない演技にすっかりやられてしまったのです。さて、それからはというものダコタちゃんが出る映画には必ず足を運び、将来有望な天才子役の成長を親になった気持ちで見守っていたのですが、最近のダコタちゃんには危険な兆候が・・・。

ヤフーでのインタビュー記事

・・・まだこの子11歳ですよ、このありえない大人っぷり、かなり危険な気がします。子供から大人へと変わるときに必ず訪れる天才子役という壁をダコタちゃんは乗り越えることができるでしょうか・・・。

ディカプリオがいまだにジャックの亡霊に取り付かれているように、俳優にとって一度付いたイメージほど恐ろしいものはないのですからね。


それでは映画の本題へ


けっして悪い映画ではないけれど、宣伝とのギャップの大きい映画です。

キャッチコピーの「超感動スリラー」というのは、「シックスセンス」などのヒット作。オープニングからラストまで感動を誘うようなシーンはどこにもありません。どちらかというと心理スリラーの面が大きく、もの凄いどんでんがえしの連続もありません。

この映画に私がキャッチコピーをつけるとするならば、「本格心理サスペンスで天才子役ダコタ・ファニングがデニーロに挑む!」でしょうか。母親の死のショックから立ち直れない娘エミリー(ダコタ・ファニング)と彼女を立ち直らせようと奮闘する精神科医の父デビッド(ロバート・デニーロ)の二人の演技合戦がこの映画の一番の見所です。

また、この映画はスリラーとしは素晴らしいとは言えませんが、心理学的描写は結構こっていて楽しめます。大切な人を亡くしたショックを乗り越えるための「喪の儀式」の表現がよかったです。

ラストへの伏線のためにずっと含みを持たせているダコタちゃんの演技はあいかわらずお見事です。ディンゼル・ワシントンだろうが、ロバート・デニーロだろうがまったく物怖じするところがないのには毎回驚かされます。


そういえば今回の字幕はかなり微妙だった気がするのですが、どうでしょうか。「Hello」が「今日は」になっていましたが、「こんにちは」って「今日は」というふうに漢字にはしませんよね。さらに劇中では「she」といっているのに字幕では「彼」と訳されていたり、なんだか妙な感じでした。


<ラストあたりで若干腑に落ちないシーンがあったのですが、もしかしたら解釈次第で違う映画になるのかも・・・>