これは酷い

ジブリの絵がしっかり描けてるだけにそれをまとめる者の構成力の無さが浮き彫りにされてしまっている。

これだけ長くて何をやっているのかわからない映画を観るのは久しぶりだ。

登場人物たちの会話や行動が微妙にかみ合わないので、すべてが空回りしてしまって誰が何のために何をしているのかまるでわからない。主人公が誰なのかすら微妙だ。


さらには、監督の個性がまったくでていない。前にゴンゾの「銀色の髪のアギト」を見た時に、これは見事なまでに恥ずかしいジブリの劣化コピーだとあきれたものだが、今度は息子が親父のセルフコピーを作るとはまったくどうかしている。しかも宮崎駿の核たる部分はすべて受け継がず、表面ばかりをさらさらと撫でている感じで見ていて気持ち悪い。

唯一の個性といえば「命の大切さ」を訴えるメッセージ性であるが、これまた壊滅的なできだ。映画に伝えたい事があるのはいい、いやいいというよりは伝えたいことがないのであれば映画など作る必要はないのだが・・・。これはすべての映画にいえることだが、物語の中で自分がいいたいことや伝えたいことを登場人物達にべらべらとしゃべらせてしまったら、その物語はそこでもう終わりだ。麻薬撲滅を訴えるのに「麻薬をやめろ!」と叫び続けるようなものだ。なんの意味もない。

登場人物たちの行動や心理を通して、それに接した人たちに自然と伝わるように作るのが基本だろう。しかしこのゲド戦記では前編にわたって皆が声をそろえて「命を大切に」とぎゃーぎゃー騒ぐばかりで、いっこうに何も伝わってこない。

どうしようもない駄作だ。

まぁしかし吾郎を攻めることはできないだろう。どちらかというと素人にこれだけのものを任せたものの責任だ。具体的に言えば、宮崎駿の寡作ぶりに業を煮やして、息子に一本撮らせようと画策した鈴木プロデューサーにすべての責任があるのではなかろうか。

てめえのくだらない金儲けに一般人を巻き込むなボケェ!と言ってやりたい。


はてさて、ジブリという煌々と輝くシシ神も宮崎駿という首がなくなってしまったら、どろどろと溶けて滅びの道を歩むのだろうか・・・。